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ノーベル賞について

カズオイシグロ氏は日本人?日本語能力は?作品の中の日本の描写はどう作られた?

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2017年のノーベル文学賞受賞者はイギリスの作家、カズオ・イシグロ氏です。彼の名前を聞くと、日本風であることはすぐわかります。

しかし、実際の彼と日本との関わりなど、知らないことも多いですね。

そこで今回、カズオイシグロ氏は日本人なのかどうか、どの国籍を持っているのか、日本国籍を持つ二重国籍者なのか、日本語能力、そして彼の作品の中の日本の描写はどう作られたのか、などまとめてみました。

カズオイシグロ氏は日本人なのか?

カズオイシグロ氏は日本人なのか?という疑問が最初に湧いてきますが、彼は英国人です

日本は二重国籍を認めていないので、彼が英国人ということは、すなわち、彼は日本人ではない、ということになります。

しかしながら、これは、
「現在において、カズオイシグロ氏は、日本国籍を所有していない」
という意味でしかありません。

では、彼の経歴を見てみましょう。

カズオイシグロ氏は、日本の長崎で、日本人の両親の元に生まれました。詳しくは、長崎県長崎市新中川町で海洋学者の父・石黒鎮雄と母・静子の間に生まれました。生年月日は、1954年11月8日です。これは昭和29年です。現在イシグロ氏は63歳です。

同じ年に生まれた日本の著名人では、元プロ野球選手では、森繁和氏、中畑清氏、田尾安志氏、木田勇氏、鈴木孝政氏ら、芸能人では石田純一氏、ルー大柴氏、古舘伊知郎氏、片岡鶴太郎氏、檀ふみ氏、水沢アキ氏、秋吉久美子氏、高畑淳子氏らが挙げられます。ノーベル賞受賞者、中村修二氏も昭和29年生まれです。

日本で生まれたカズオイシグロ氏には、日本の漢字の名前があります。彼の日本名は石黒一雄です。

カズオイシグロ氏が5歳のとき、父石黒鎮雄氏が、北海油田の調査をするために、一家でイギリスのサリー州・ギルドフォードに移住しました。一雄少年もその時に英国の土を踏みました。そして、家族はそのまま英国に移住しました。

英国で育ち、英国で教育を受けた彼は、1982年に英国国籍を取得しました。(注、産経新聞などには1982年と記載、朝日新聞、英国の新聞ガーディアン、それを元にしたウィキペディアには1983年と記載されています。)

すなわち、彼は1982年、彼が27歳までは、日本国籍を持っていた、日本人です。

カズオイシグロ氏は、幼少の頃、5歳の時に日本を離れるまでは、日本の長崎で暮らす、普通の日本人の男の子でした。

そして、5歳から、イギリスの文化、社会の中で暮らし、そして、27歳で日本国籍を放棄、英国国籍を取得しました。

彼の2006年のインタビュー記事によると、

「感情的には日本ですが、すべての実用的な理由から、イギリス国籍を選択しました。」

と述べています。

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カズオイシグロ氏は日本語が使えるのか?

5歳で日本を離れた、カズオイシグロ氏の日本語の能力はどのようなレベルなのでしょうか?

彼自身は前述のインタビュー記事の中で

「両親と電話で話すときも、とても下手な日本語で話します。私が話す日本語は、日本語であることがわからない、かなり古臭い、子供の日本語です。5歳のときから凍結した日本語で、それに英単語がたくさん混じります。」

と自分の日本語能力を分析されています。

この5歳の子供の日本語レベルという本人の自己評価を考察してみます。

実際、5歳で英国に移住して、家族以外とは英語のみで話をした場合には、その段階からの日本語学力の進歩、例えば漢字を学習して読む、ということをしてなければ、日本語での聞く、話すはある程度できても、読み書きはその年齢のレベルで止まっていると思われます。

そして、実際、イシグロ氏は漢字やカタカナの勉強はしていません。

「母親はある程度日本語を教えてくれましたが、あるとき両親は、日本語学習の強要はよくないと決意したのでしょう。」

と回想しています。

また、その場合の日本語のボキャブラリーも、本人の分析通りの幼少レベルと思われます。

カズオイシグロ氏の作品の中の日本とは?

カズオイシグロ氏は、5歳の時で英国に渡りました。そして、英国から日本には彼が35歳の時、1989年に初めて行きました。

それまで日本に行かなかった理由として彼は、海外ではアメリカの西海岸に行きたかったこと、そして、日本の物価が上昇してきて、簡単に行ける国ではなくなったことを指摘しています。

そして、興味深いのが、彼が以下のように述べている事です。

「23、24歳頃になって初めて、日本にとても関心を持つようになりました。それで、自分の小説で日本について書くプロジェクトを始めたのです。私はこの小説を書き終わるまで、日本に戻らないという決意を意識的にしました。」
「本当の日本が、自分の脳裏にある日本に干渉をすると思ったからです。」
「私のプロジェクトは、自分の日本が脳裏から消える前に、小説に安定的に書き留めておくというものでした。なので、本当の日本に行くということは、それを混乱させることになるでしょう。」

これは、彼が初期の作品で書いた日本が、彼の脳裏にある日本を描写したものであることを示しています。そして、あえて、その時点での日本との接点を断ち切ったこともわかります。

そうやって生まれた作品は、「現実の日本の姿」ではないけど、彼の中だけの、彼しか書けないオリジナリティーを持っていることは間違いないでしょう。そして、その事も彼の作品が評価された理由の一つと思われます。

「幼い時の日本の思い出が私にとっての日本を象徴するのです。イギリスで育っているときは、ずっと日本社会はどういうものか、日本はどんな国かというのを想像していたと思うので、20代半ばには既に日本に対するイメージが完全に出来上がっていたと思います。それは、ある程度は記憶に基づくと思っていたのですが、実際は違いました。小説家が経験するように、架空のプロセスをすでに経ていたのです。それで日本に対するイメージを完全に作りあげていたのです。」

と本人が述べているように、小説家としての架空のプロセスを経た日本を書いた、とのことでした。

この「自分の脳裏にある日本を保存する」プロジェクトで生まれた作品が、1982年の『遠い山なみの光』原題:A Pale View of Hills、1986年の『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World) です。一作目はで王立文学協会賞を受賞し、9か国語に翻訳され、二作目はウィットブレッド賞を受賞しました。

それらの作品はこちらです。楽天ブックスでお求めになれます。

彼の代表作、私を離さないで、についてのまとめはこちらです。彼を知るにはいい作品です。
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彼の母の被爆体験から、彼のノーベル平和賞への喜びのコメントがありました。
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まとめ

2017年ノーベル文学賞作家、カズオイシグロ氏は、英国人の人気作家です。彼は日本で日本人の両親の間に生まれて5歳まで日本で普通の日本人として暮らし、そして5歳の時に家族と英国に移住しました。そして27歳の時に日本国籍を放棄して英国国籍を取得しました。日本語の教育はそれ以降はあまり受けておらず、本人によると、5歳児の日本語能力とのことです。初期二作の小説に出てくる日本は彼の脳裏に残っている日本をもとに描いた作品です

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彼の2006年のインタビュー記事の引用元はこちらです。

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