ポッキーの日の歴史
「ポッキーの日」(正式には「ポッキー&プリッツの日」)は、毎年11月11日に祝われる日本独自の記念日で、江崎グリコが製造する人気のスティック状チョコレート菓子「ポッキー」と「プリッツ」をテーマにしたものです。この日の由来は、ポッキーやプリッツの細長い棒状の形状が、数字の「1」に似ていることから来ており、11月11日という「1」が4つ並ぶ日付にぴったり合うという遊び心あふれる発想に基づいています。以下では、この記念日の歴史を時系列でまとめます。
起源と制定(1990年代)
- ポッキーの誕生(1966年): ポッキーの歴史は、まずこのお菓子の発売に遡ります。江崎グリコは1966年(昭和41年)にポッキーを発売しました。当初の商品名は「チョコスティック」で、チョコレートが手につきにくいようコーティングされたビスケットスティックという画期的なアイデアがヒット。発売から数年で日本中でブームを巻き起こし、現在もロングセラー商品として世界50カ国以上で販売されています(海外では「Pocky」という名前で知られ、韓国では「ペペロ」など地域ごとに異なる名称が使われています)。
- 記念日の制定(1999年): ポッキーの発売から約30年後の1999年(平成11年)、江崎グリコが「ポッキー&プリッツの日」を正式に制定しました。この年11月11日が第1回の記念日となり、一般社団法人日本記念日協会に認定されました。制定の目的は、ポッキーとプリッツ(1963年発売のグリコのもう一つのロングセラー菓子)をより楽しくシェアする文化を広め、消費者の日常に取り入れること。グリコは当初、子供向けのお菓子というイメージを大人向けにシフトさせる戦略の一環として、この記念日を活用しました。
普及とイベントの拡大(2000年代~2010年代)
- 初期の認知拡大(2000年代): 制定当初は認知度が低く、グリコは地道なプロモーションを展開。ポッキーのスティックを4本並べて「1111」を表現するビジュアルを活用した広告やキャンペーンが中心でした。徐々に、友人や家族でポッキーをシェアする「ポッキーシェアリング」の文化が広がり、記念日が「自分ごと」として定着し始めました。
- イベントの多様化(2010年代): 2010年代に入ると、グリコは大規模なリアルイベントを導入。渋谷や全国の街頭でポッキーを使ったゲームやシェアリングパーティーを開催し、SNSでの拡散を狙いました。また、2011年の地デジ移行期には、家電量販店で11時11分に一斉CMを放送するなど、巧みなタイミングを活かしたプロモーションで全国的な認知を獲得。記念日は単なるお菓子デーから、コミュニケーションのきっかけとして進化しました。
現代の影響とグローバル化(2020年代~現在)
- 経済効果と文化定着: 近年では、11月11日が「記念日が2番目に多い日」(日本記念日協会調べ)として知られるほど、他のイベント(例: いいふうふの日、鶏の日など)と重なる中でもポッキーの日が目立つ存在に。グリコのキャンペーンにより、毎年数億個のポッキーが売れる経済効果を生み出しています。2024年や2025年のイベントでは、限定パッケージの発売やARを使ったデジタルシェアリング、ポップアップストアが予定されており、SNSで「#ポッキーの日」がトレンド入りするほど人気です。
- 海外への波及: 日本発祥ですが、韓国では「ペペロデー」として恋人たちの日になり、ポッキーシェアが告白の定番に。グローバルに広がり、ポッキーは「シェアの象徴」としてUNESCOの無形文化遺産に登録される動きさえあります(2023年頃の話題)。
ポッキーの日は、単なる商業記念日から、日常の小さな喜びを共有する文化を生み出した好例です。2025年の今日(11月11日)も、グリコの公式サイトで最新イベントを確認して、誰かとシェアしてみてはいかがでしょうか。歴史を振り返ると、グリコのマーケティング戦略の妙が、この日の成功の鍵だったと言えます。