日系ハワイ人の歴史

日系ハワイ人(Japanese Americans in Hawaii)は、ハワイの人口・文化・経済に大きな影響を与えたコミュニティです。2020年の国勢調査では、ハワイ人口の約14-17%(約20-30万人)が日系人で、フィリピン系に次ぐ第2位の民族グループ。ピーク時の1920年には43%を占め、ハワイを「アジア系多数派」の州に変えました。移民の苦労から政治的活躍まで、150年以上の歴史をタイムラインでまとめます。

移民の始まり(19世紀後半)

  • 1868年(明治元年): 最初の集団移民「元年者(Gannenmono)」約150人(主に男性)が横浜からハワイへ。砂糖プランテーションの労働力として招かれたが、過酷な条件で多くが帰国。ハワイ王国時代の先駆け。
  • 1881年: カラカウア王が訪日し、日本からの移民を要請(明治天皇に謁見)。
  • 1885年〜1894年: 「官約移民」時代。政府間契約で約2万9000人が移住。広島・山口・福岡・熊本などから多く、砂糖キビ畑で長時間労働。「ホレホレ節」などの歌で苦労を表現。
  • 1894年〜1900年: 「私約移民」時代。
  • 1900年〜1924年: 「自由移民・呼び寄せ移民」時代。約7万人以上移住。「写真花嫁(Picture Bride)」が特徴:男性が日本で写真交換し、女性を呼び寄せ結婚(約2万人)。
  • 1924年: 米国排日移民法で日本からの移民禁止。以降、定住化が進む。

移民の背景: ハワイの先住民人口減少(伝染病で13万人→5万人台)と砂糖産業隆盛。日系人は中国人・フィリピン人・韓国人らと共にプランテーションを支え、ハワイ経済の基盤を築きました。

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貢献と社会形成

  • 経済: プランテーション労働から独立し、商店・スーパー(例: ABCストア、タイムズスーパー、マツモトシェイブアイス)を開業。農業・商業で成功。
  • 文化: 盆踊り、寺院・神社建立、日本語学校設立。アロハシャツの原型(着物リサイクル)やマカデミアナッツ栽培、ロコモコなどの食文化も日系人起源。
  • 政治・社会: 二世(Nisei)以降、教育達成度が高く、ジョージ・アリヨシ(1973-1986年知事)のように初の日系知事誕生。ダニエル・イノウエ上院議員(日系人で最長在職)ら活躍。

差別と戦争の時代

  • 1909年・1920年: 大ストライキで賃上げ闘争。異民族対立も利用され、排日感情高まる。
  • 1941年真珠湾攻撃後: 本土の日系人12万人が強制収容されたのに対し、ハワイでは人口37%が日系人で経済影響大のため、大規模収容なし(約1500-1800人が一時拘束)。しかし、監視・差別強化。
  • 442連隊・100大隊: 日系人志願兵が欧州戦線で活躍。「Go For Broke(当たって砕けろ)」の精神で最優秀部隊に。ハワイ日系人の忠誠を示す象徴。

現在(2025年時点)

  • 多世代(8世まで)。多くが英語話者で、日本語離れが進むが、盆踊り・正月などの伝統維持。
  • 人口減少傾向(フィリピン系に抜かれ)。文化遺産としてハワイ日本文化センターなどで歴史保存。
  • 貢献の遺産: ハワイの多文化社会を形成。観光・食・芸術に日本要素が深く根付く。

日系ハワイ人の歴史は、過酷な移民からハワイの豊かさを築いた物語。今日のハワイの魅力(アロハ精神、多文化共生)の多くが彼らの努力に由来します🌺 アロハ!

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