ハルク・ホーガン氏死去ニュースのまとめ2025年7月24日、アメリカの伝説的なプロレスラー、ハルク・ホーガン(本名:テリー・ジーン・ボレア)が、米フロリダ州クリアウォーターの自宅で心停止により71歳で死去した。米芸能サイトTMZやNBC Los Angelesなど複数のメディアが報じ、WWEも公式に訃報を発表。救急隊が駆けつけたが、病院搬送後に死亡が確認された。最近の頸部手術からの回復中だったとされる。訃報は世界中に衝撃を与え、Xでは「Hulk Hogan」が世界トレンド1位に。WWEは「1980年代にプロレスを世界的なエンターテインメントにした功労者」と追悼した。プロレスでの経歴・業績
- デビューと初期:1953年8月11日生まれ、ジョージア州オーガスタ出身。1977年に覆面レスラー「スーパー・デストロイヤー」としてデビュー。1979年、漫画「超人ハルク」にちなみ「ハルク・ホーガン」に改名し、WWF(現WWE)でスターに。
- 1980年代のブーム:圧倒的な体格とカリスマ性で「ハルカマニア」旋風を巻き起こし、プロレスを家族向けエンターテインメントに変革。WWFの旗艦イベント「レッスルマニア」の初回から9回中8回メインを務め、1988年のアンドレ・ザ・ジャイアント戦は米TV史上最高視聴率を記録。1984年にアイアン・シークを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。
- 日本での活躍:1980年から新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木と名勝負を展開。1983年のIWGP決勝リーグ戦で猪木をアックス・ボンバーでKOし優勝。「イチバァーン!」の決めポーズと「一番」ロゴのコスチュームで日本でも人気を博し、「ICHIBAN」は米国でNo.1を意味する日本語として知られた。
- nWoと後期:1990年代、WCWで悪役ユニット「nWo」を結成し、プロレス界に新たな話題を提供。2005年と2020年にWWE殿堂入り(個人とnWoとして2回)。
- 影響力:プロレスをマイナージャンルから大衆文化の中心に押し上げ、子供から大人まで魅了。リング上の派手なパフォーマンスと観客との掛け合いで「生ける伝説」と呼ばれた。
社会活動・その他の業績
- メディア出演:映画『ロッキーIII』やリアリティ番組『Hogan Knows Best』でタレントとしても活躍。プロレス以外のメディアでも知名度を拡大。
- 政治的活動:共和党支持者として知られ、2024年の米大統領選では共和党全国大会でドナルド・トランプを支持。シャツを引き裂くパフォーマンスで注目を集めた。
- 論争:2015年、娘の交際に関する人種差別発言が流出し、WWEから解雇されたが、後に復帰。
- 音楽との関わり:若い頃はロックバンド「ラッカス」でベーシストとして活動。メタリカ加入のオーディションを受けたとの発言(否定された)も話題に。
ファン・関係者の反応Xでは日本のファンから「猪木との名勝負が忘れられない」「昭和のプロレスを象徴する天才」と悼む声が多数。猪木との絆や「イチバァーン!」の記憶が強く残っている。ハルク・ホーガンはプロレス界の枠を超え、ポップカルチャーのアイコンとして世界に影響を与えた。彼の死はプロレス史の大きな節目となり、功績は今後も語り継がれるだろう。