プロ野球の東映(現日本ハム)や巨人、ロッテで大打者として活躍した張本勲(はりもと いさお)さんは、2026年9月9日に86歳で逝去されました。日本プロ野球(NPB)史上初となる通算3000本安打を達成し、歴代1位の通算3085安打を積み上げた「安打製造機」として、球史にさんぜんと輝く偉大な業績を残しています。[1, 2]
幼少期の大火傷で右手に大きなハンディを負いながらも、強靭な精神力と卓越した「スプレー打法(広角打法)」で数々の不滅の金字塔を打ち立てました。 [1, 2]
📊 通算成績と獲得タイトル
実働23年間にわたりトッププレーヤーとして君臨し、打撃のあらゆる指標で歴史的な数字を残しました。 [1, 2]
| 項目 | 記録・実績 | 備考・球史における位置づけ |
|---|---|---|
| 通算安打数 | 3,085安打 | 日本プロ野球歴代1位(唯一の3000本超え) |
| 通算本塁打数 | 504本塁打 | 歴代7位タイ |
| 通算盗塁数 | 319盗塁 | 史上唯一の「500本塁打・300盗塁」達成者 |
| 通算打率 | .319 | 7000打数以上の打者として歴代屈指の高打率 |
| 首位打者 | 7回 | 歴代1位タイ(パ・リーグ記録) |
| 最高出塁率 | 9回 | 卓越した選球眼の証明 |
| ベストナイン | 16回 | 外野手として歴代最多選出 |
| 主な受賞歴 | 新人王(1959年) シーズンMVP(1962年) | 東映の初代日本一に大きく貢献 |
| 野球殿堂入り | 1990年選出 | 競技者表彰として殿堂入り |
💡 野球人としての3つの偉大な足跡
① 類を見ない「万能型」の超一流バッター
左右に鋭い打球を打ち分けるヒットメーカーの印象が強いですが、504本塁打の長打力と319盗塁の俊足を兼ね備えていました。長いメジャーリーグの歴史を見てもウィリー・メイズやバリー・ボンズなど3人しか達していない「500本塁打・300盗塁」を日本で唯一クリアした、究極のオールラウンダーでした。 [1]
② 巨人「OH砲」の一角として連覇に貢献
1976年に読売ジャイアンツへ移籍すると、王貞治さん(O)とともに「OH砲」を結成しました。長嶋茂雄監督のもとでチームのリーグ連覇(1976年〜1977年)に中軸として大きく貢献し、セ・リーグのファンにもその圧倒的な存在感を植え付けました。 [1, 2, 3]
③ 韓国プロ野球(KBO)発足への尽力
在日韓国人としての誇りを持ち続け、1982年の韓国プロ野球(KBO)発足時には総裁特別補佐に就任しました。現地のプロ野球の基盤作りに奔走し、日本だけでなくアジア全体の野球界の発展と底上げに計り知れない功績を残しました。 [1, 2, 3]
引退後も長く「球界のご意見番」として愛された、日本野球界を代表する不世出のレジェンドです。 [1, 2]