張本勲さんの現役時代は、まさに「記録も規格外なら、エピソードも規格外」の豪快さと壮絶さに満ちています。彼の野球人生を象徴する4つの伝説的エピソードをご紹介します。


🔥 1. 右手のハンディを乗り越えた「左の強打者」

張本さんは4歳の頃、急な坂道でバックしてきたトラックを避けようとして焚き火に右手を突っ込んでしまい、右手の親指、人差し指、中指が癒着(硬直)する大火傷を負いました。
本来は右利きでしたが、右手が使えないため左投げ左打ちに転向。プロに入ってからも、バットを握る際は不自由な右手の分を左手の驚異的な握力で補っていました。このハンディキャップを一切言い訳にせず、歴代1位の安打数を放ったことは球界最大の奇跡と言われています。

👑 2. 親友であり最大のライバル、王貞治との絆

巨人に移籍して「OH砲」を組んだ王貞治さんとは、同い年の大親友であり、互いを認め合う戦友でした。
若手時代、他球団の尖った存在だった張本さんに対し、王さんはいつも優しく声をかけてくれたといいます。巨人でともにプレーした1977年、王さんが世界新記録の通算756号本塁打を放った際、ネクストバッターズサークルにいた張本さんは、誰よりも早くホームベースへ駆け寄り、まるで自分のことのように王さんを抱きしめて祝福しました。

🕶️ 3. 王者を震撼させた「アンチ野村克哉」の心理戦

南海ホークスの捕手として、打者の集中力を削ぐ「ささやき戦術」で有名だった野村克哉さん。しかし、張本さんにはこれが全く通用しませんでした。
野村さんが後ろから「ハリ、今日の夜どこ飲みに行くんだ?」などと話しかけると、張本さんは「ノムさん、うるさい!喋ると耳元でバット振るぞ!」と一喝。文字通り、威嚇のために野村さんの顔スレスレに凄まじいスイングを見せ、恐怖した野村さんは二度とささやけなくなったという逸話が残っています。

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🇺🇸 4. メジャーリーグ(MLB)からの破格のオファーを拒否

1960年代〜70年代の全盛期、その卓越したバッティング技術はメジャーリーグのスカウトからも絶賛されていました。実際にサンフランシスコ・ジャイアンツなどから破格の条件でオファーが届いていましたが、「日本で初の3000本安打を達成する」という目標と、日本のファンへの思いからこれを拒否。日本プロ野球のレベルの高さを自らのバットで証明し続けました。


張本さんの「安打製造機」としての凄みは、こうした強靭な精神力と、誰にも負けない練習量に裏打ちされたものでした。

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