張本勲さんがプロとしてのキャリアをスタートさせ、最も長く在籍した東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)時代の「暴れん坊軍団」のエピソードと、引退後にイチロー選手と交わした安打記録を巡る数々の逸話をお届けします。どちらも張本さんの豪快なキャラクターと野球への熱い情熱が詰まっています。
🦅 1. 東映フライヤーズ時代の「暴れん坊軍団」伝説
1960年代の東映フライヤーズは、一癖も二癖もある荒くれ者が集まり「駒沢の暴れん坊」と恐れられていました。その中心にいたのが、若き日の張本さんです。
- 門限破りは当たり前、窓から脱走
当時の東映の選手たちは、夜の街に繰り出すのが大好きでした。合宿所の門限が厳しくなると、張本さんたちは2階の窓からロープを垂らして脱走し、朝まで飲み明かしてからそのまま球場入りして試合で大活躍するという、現代では考えられない破天荒な生活を送っていました。 - ヤクザも道を譲る?球界最強の「喧嘩番長」
張本さんは当時、同じく東映のスターだった山本八郎さんらと共に、私服姿で街を歩くだけで周囲が震え上がるほどの威圧感を持っていました。遠征先の歓楽街でガラの悪い男たちに絡まれても、張本さんたちが一睨みするだけで相手が退散したという逸話が数多く残っています。 - 「水原監督のクビ」を賭けて掴んだ初優勝(1962年)
1962年、巨人の名将だった水原茂監督が東映の監督に就任しました。しかし、お行儀の良い巨人の野球を押し付ける水原監督に、暴れん坊たちは大反発。張本さんらは「こうなったら日本一になって、水原の鼻を明かしてクビにしてやろうぜ!」と逆療法で一致団結しました。結果、チームは球団初のリーグ優勝と日本一を達成。表彰式では、水原監督を男泣きさせ、最後はガッチリ握手を交わすという熱いドラマを残しました。
🇯🇵🇺🇸 2. イチロー選手との「日米通算安打」を巡る絆
イチロー選手がメジャーリーグでヒットを量産し、張本さんの持つ日本記録「3085安打」に迫った際、メディアは二人の対立を煽ろうとしました。しかし、実際の二人の間には深いリスペクトがありました。
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- 「日米通算」へのこだわりと本音
イチロー選手が日米通算で3085本目を放った際、張本さんはテレビ番組等で「メジャーと日本は環境が違う。日本だけの記録とは別物」と厳しい意見(喝!)を述べました。これは日本のプロ野球のプライドを守るための発言でしたが、同時に「イチローなら、アメリカ(MLB)だけで私の記録を抜いてみせろ」という裏返しの激励でもありました。 - MLB通算3000本安打で見せた、男泣きの祝福
2016年、イチロー選手がMLB通算3000本安打(ギネス世界記録となる日米通算4257安打超え)を達成した際、張本さんはこれまでの厳しい態度から一転、「あいつは天才。よくやった。同じ日本人として本当に誇らしい」と大絶賛し、目を細めて祝福しました。イチロー選手も張本さんの記録を常に意識し、大先輩への敬意を生涯忘れませんでした。 - グラウンドでの密かな約束
ある年のオールスターゲームで、解説者としてグラウンドに降りた張本さんに、イチロー選手が自ら駆け寄って挨拶をしました。その際、張本さんが「バッティングで悩んだらいつでも電話してこい」と声をかけると、イチロー選手は嬉しそうに帽子を脱いで深々と頭を下げました。天才同士にしか分からない、強い絆がそこにはありました。
破天荒な時代を生き抜いた強さと、次世代の天才を厳しくも温かく見守る器の大きさこそが、野球人・張本勲さんの最大の魅力でした。
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