旅行、スポーツや気になるトリビア情報などについての情報を発信します。- Information Station from Japan –

十人十色ブログ

冬の行事について

ムーミンがセンター試験地理問題で出題される。どこの国の作品?作者出身地フィンランドと言語について

投稿日:

2018年1月13日のセンター試験、地理Bの問題で、ムーミンが出題されて、若い受験生が混乱した、というニュースが報道されました。

ムーミンは日本の昭和時代の人気のアニメーションですが、確かに、作者は北欧のどこかの国出身、ということは知っていても、それ以上は詳しくない人も多いとは思います。

そこで、ムーミンが出題されたセンター試験、地理の問題について、この作品がどこの国の作品なのか、作者の出身地についてと、作品の言語について説明しました。そして、フィンランド大使館の反応もまとめました。

ムーミンがセンター試験地理の問題で出題される

2018年のセンター試験の地理Bの問題は、一部の若者にとっては非常に難問となりました。

スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの3カ国の気候や貿易などの比較の問題に引き続き、北欧の国と関連するアニメと、言語の正しい組み合わせを問う問題が出題されました。

アニメは、例として、スウェーデンを舞台としたアニメ「ニルスのふしぎな旅」のイラストとスウェーデン語のセリフが示された。そして、ムーミンと「小さなバイキングビッケ」のイラストが示され、どちらがフィンランドのアニメか、そして、どちらの言語がフィンランド語か、フィンランド語、ノルウェー語の同じセリフ「それいくら?」を並べ、正しい組み合わせを選ぶという設問でした。

ツイッターなどでは「ムーミンと地理が関係あるのか?」など、受験生で正答がわからなかった人などからの意見が噴出しました。
そして、ムーミン公式サイトは「まだまだ、ムーミンの国が、知られてないんだな、と反省」とつぶやきました。

この問題に関して、もう一つの選択肢のバイキングビッケで、バイキングはノルウェー(とスウェーデン)であり、フィンランドではない。ノルウェー語はスウェーデン語とほぼ同じなのでそちらもわかる。

よって、バイキングの地理の問題であり、ムーミンをたとえ知らなくても正答にたどり着くべき問題である、というのがネットでの評価です。

ムーミンはどこの国の作品?フィンランド?

ムーミンについて確認するため、ムーミンの公式サイトを見ると、

ムーミンを知ろう・ムーミンの歴史というサイトがありました。この情報の一部をまとめました

ムーミンの歴史について

1914年8月9日、フィンランドのヘルシンキで、トーベ・マリカ・ ヤンソン誕生。彫刻家の父と画家の母をもつ、芸術一家の長女として生まれる

1934 トーベ・ヤンソンは10代の頃、母国フィンランドや海外で芸術を学ぶ。そのころムーミンと姿形が似たキャラクター誕生。スウェーデン語系風刺雑誌『ガルム』にも登場

1945 ムーミンの小説のシリーズ、1作目作品、『小さなトロールと大きな洪水』(原作スウェーデン語:セーデルストロム社出版)が出版される。

1946 ムーミンの小説、2作目『ムーミン谷の彗星』が出版される。

1948 ムーミンの小説、3作目『たのしいムーミン一家』が出版される。のちに、シリーズ中初めて英語で出版された作品で、1980年代まで第1作目として販売された

1950 ムーミンシリーズ本、4作目『ムーミンパパの思い出』が出版される。

1952 ムーミンシリーズ初の絵本『それから どうなるの?』が出版される。

1954 ムーミン・コミックスが登場し、人気を博す。世界40カ国以上に1200万人の読者を持つロンドンの夕刊紙イブニング・ニューズに、弟ラルスのサポートのもと連載。1960年以降はラルスによって引き継がれ、1975年まで連載続行

スポンサーリンク

以上がムーミンの歴史の一部ですが、作者はフィンランド生まれ、作品はスウェーデン語で書かれていることがわかります。

今回の設問の問題点は実はこの国籍と言語の不一致にもあるのですが、少なくともムーミンとノルウェー語は関係ないので結びつきませんし、バイキングのヴィケもフィンランドとは結びつきませんので、正解はムーミンとフィンランド(語)。
たとえムーミンを知らなくても、確かに正答率は低くはなかったとは思われます。

ムーミンの作者の生い立ちと言語について

トーベ・マリカ・ヤンソンは1914年8月9日、フィンランドの首都ヘルシンキで、ヴィクトル・ヤンソンとシグネ・ハンマルステン・ヤンソンの長女として生まれました。

父は彫刻家で、母はグラフィックアーティストという芸術一家でした。そして、トーベと二人の弟、ペル・ウロフ(1920年生)とラルス(1926年生)も芸術に親しんで育ちました。

この環境が、彼女の人生を決めたとも思われますね。

父ヴィクトルはスウェーデン語系フィンランド人、母シグネは留学先のパリでヴィクトルと出会ったスウェーデン人でしたから、トーベ自身ももちろん、スウェーデン語を母語として育ちました。

フィンランドは建国以来、フィンランド語に加えスウェーデン語も公用語としています。

フィンランドの歴史を見ると、フィンランドはスウェーデンの支配下に12世紀から18世紀まで置かれていました。

15歳から雑誌やポストカードのイラストレーターとしてデビューして、プロとして収入を得ながら、十代後半はストックホルムで商業デザインを、ついでヘルシンキで美術を学び、二十代になると奨学金を得てはフランスやイタリアに渡って見聞を広め、絵画技術を習得しました。

1945年、ムーミンシリーズの第一作が出版されました。この第一作は商業的には決して成功とはいえませんでしたが、トーベは、画業の傍らこつこつと執筆を続け、次々に続編を発表していきました。

1948年の第三作目で、フィンランドとスウェーデンで大きな評判をとりました。児童文学王国イギリスで英訳出版された、北欧の小国からきた奇妙ないきものたちのお話は、思いがけない大ヒットとなったのです。

そして1954年からのイブニングニュースでの漫画連載が、ムーミンの人気を決定づけ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、最盛期には40カ国、120紙に転載されました。

漫画ムーミンの人気は、オリジナルの児童文学シリーズも及び、次々に各国語に翻訳され、高い評価を獲得しました。

こうしてトーベは児童文学作家としての国際的な名声を獲得したのです。

駐日フィンランド大使館のツイッターでの反応は?

今回の件に、駐日フィンランド大使館のツイッターでの反応がありました。

ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンはフィンランド人なので、ノルウェーに変えられないけど、フィンランド大使館も今後周知に努めます。
確かにムーミンの原作者トーベ・ヤンソンはフィンランド人だけど、スウェーデン語を母語としていたんだ。フィンランドの公用語は二つ。馴染みがないと、フィンランド語を選択するのは難しいよね。 大丈夫!受験生の皆さん、これを間違えても人生はまだこれから。応援してるよ!つぇんぴあ!*\(^o^)/*

まとめ

2018年1月13日、ムーミンが出題されたセンター試験、地理の問題について、この作品がどこの国の作品なのか、作者の出身地についてと、作品の言語について説明しました。そして、フィンランド大使館の反応もまとめました。
ヴィケバイキングはノルウェー、そしてノルウェー語はスウェーデン語とほぼ同じなので、消去法でも正解のムーミンとフィンランド語の選択肢にたどり着けます。

スポンサーリンク

-冬の行事について
-,

Copyright© 十人十色ブログ , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.