2017年10月22日、第48回衆議院議員総選挙が行われ、自民党と公明党を合わせた衆議院の与党議席が3分の2を再び獲得した、という結果となりました。
ところで、日本語の与党、野党とはどのような政党を指す言葉なのでしょうか?
また、連立政権とは何でしょうか?
そこで、国会での与党と野党がさす政党、連立政権、そして第1党自民党が野党になった細川内閣についてまとめました。
国会の与党と野党の意味について
与党とは何を意味する言葉でしょうか?
この言葉は「政権を担当している政党」
を指します。与党もしくは政権党、政権与党と表記します。
与党以外の党が野党です。
日本の国会における与党とは、内閣を組織している一つの政党、もしくは複数の党の連合の事を指します。内閣を組織するためには、首班指名投票で勝たねばなりません。このためには、与党は過半数を超えていないといけません。そして、内閣総理大臣は常に与党に所属しています。
ここで、国会とは立法府(立法を主な職務とする機関)であり、その国会で多数派となった与党政党が内閣すなわち行政府(行政の事務を職務とする機関)を構成します。
これを議院内閣制と呼びます。
国会の連立政権の意味について
内閣が一つの党だけで組織される場合には「単独内閣」と呼ばれ、内閣が複数の党で組織される場合には「連立内閣」と呼ばれます。
この政権を、連立政権と呼びます。
議員数が一番多い党が与党ではないの?
ここで注意したい点としては、単独では国会内で最も議員数の多い政党だからと言って、政権与党と同一であるとは限らない、という事です。
例えば、A党という政党が単独では一番議席数が多いとしても、過半数以下の場合は、 B党、C党、D党、E党の4党が同盟を結んで、共同で一人の議員(B、C、D、E党に属する議員)を首相に指名した場合、その4党が擁立した候補がA党の擁立した候補に多数決で勝利する場合が起こり得ます。
この場合、政権与党連合はB党、C党、D党、E党となり、A党は野党、ということになります。
単独で一党が過半数を超える場合は、このようなケースは起こり得ません。
第1党自民党が野党になった細川内閣とは?
今までの日本の政治史においても、このような状況の期間は存在しました。
1990年代前半に、自民党の長期政権に嫌気がさした国民が、自民党以外の党に多く投票した選挙がありました。
それが、1993年(平成5年)7月18日に実施された第40回衆議院議員総選挙です。
この選挙において、自民党の獲得議席数は選挙前の議席をほぼ維持したものの、選挙前の党分裂の影響で単独過半数に達しませんでした。
そして、その選挙の結果、1993年8月9日に8党連立の細川内閣が誕生したのです。
この時の自民党の衆議院での議席数は223議席で議席数においては衆議院最多の党でした。
しかしながら、単独過半数ではありませんでした。そして、首班指名投票で自民党の投票した人は過半数を取ることができず、野党となりました。
日本新党は、自民党と非自民勢力どちらにも、連立政権参加の条件を提示しておりました。このように、2つの勢力が拮抗し、いずれも過半数を制することができない場合、第三の勢力として、事実上の決定権を行使できる立場になることができます。このような政党はキャスティングボートを握る政党と呼ばれています。
細川氏は首相指名などの好条件を得て、非自民党勢力につきました。
ちなみに、細川護煕首相の日本新党の議席数35議席は、連立与党内において社会党、新生党、公明党に次ぐ第四番目の勢力でした。
このように、与党連合の中でも、議席数が一番多い政党から内閣総理大臣が選ばれない場合があります。自社さ連立内閣での村山富市首相もその例の一つです。
まとめ
与党とは、政権を担当している政党を指します。与党が選出した内閣総理大臣が内閣を組織して、行政府を構成します。与党は単独の場合もしくは複数政党の場合があります。議員数が最多の政党が与党とは限らず、また、与党連合の中でも、議席数が一番多い政党から内閣総理大臣が選ばれない場合があります。野党とは与党以外の政党を指します。日本では1990年代に第1党が野党となりました。
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